江戸時代の辞書にみる鶏

書名

内容

本朝食鑑
鶏 仁波止利(にわとり)と訓む。昔は加介(かけ)と訓んだ。《『継体記』に「称播都等利(にわつどり)、柯稽(かけ)とある》
【釈名】庭鳥(にわとり)。俗称、家鶏(かけ)
【集解】家々村々で家禽として畜養(やしな)われている。黄・白・丹・黒・烏骨(うこつ)のもの、あるいは丹黒・黄白・丹白・黄丹・黄黒のもの。さらにまた、三色・四食の雑駁なもの、烏骨でも雑色のものがいる。大抵、平成養われているものは俗に地鶏と言う。大きいものを唐麻呂(ひこまろ)と呼ぶのは、もともと中華から渡来したという意味であろうか。麻呂とは昔の男子の通称である。唐真呂のうちで、大鋸歯のような鶏冠(とさか)のものは大鋸(だいぎり)と呼ぶ。近時、純白で脛毛のない大鋸の唐麻呂が一番よいものとされ、各家では珎(たから)としている。これらは中華の蜀地方の鶤鶏(うんけい)、楚地方の倉鶏(そうけい)であろうか。小さいものは知也保(ちゃぼ)という。形状は尋常の鶏とは殊ならないが、脛は一・二寸許りしかない。最も小さいのは南京知也保という。大きさ三・四寸以下の純白のものが一番よいもので、好事家はこれを争って畜っている。これは近世中華の南京から渡来したもので、彼の地でいう矮鶏(ちゃぼ)であろうか。烏骨鶏も、近世中華から来て五・六十年にしか過ぎない。今、各地に鶏が多くいて、昔から闘鶏の戯に用いて久しい。それで唐丸の大鋸を畜養してその用に当てるのである。勁剛な地鶏でも、唐丸大鋸に勝てるものは多くいる。小さいのを飼養するのは、惟、形の微美しいのを愛するためである。
 ところで、鶏を食べるとすれば、黄雌鶏が上であって、烏骨鶏がこれに次ぐ。ある人が野人に問うて、「鶏には文・武・勇・仁・信の五徳がそなわり、あるいは翰音(かんおん)と呼び、あるいは司晨(ししん)とも呼ぶ。文王は鶏の初声に安を問い、孟子は鶏鳴より善をつとめることをすすめている。してみると、賢者の愛すべきものが、今では村々家々の家禽となっているということになる。これはどういうわけなのかな」と尋ねた。野人の答は「僕等は、鶏が賢者の徒であるかどうか、そんなことは識らない。が、民間で飼養う場合には三利ある。一つは、山中の田家では昼夜の時もわからぬ風雨の日に、但鶏鳴によって時を知ることができる。二には、場庭に漏脱(おちこぼ)して土砂に混じってしまった穀菽は、但鶏が啄いてすっかり食べてくれる。三には、鶏を多く養畜していれば、卵を生むのも多いので、時どきは市に販売し、不時の利が得られる。以上の三つが民間にとっての利益である」と。
 世俗では、「鶏は夜半を過ぎて鳴くのが常であって、夜半を過ぎぬうちに鳴くのは異常である。これは宵鳴と言い、不祥事のある場合である」としている。これは中華でいう荒鶏のことであろうか。その家主には不吉であるので、これを祓い、その鶏を捕えて水に投げ入れると災を免れるという。また吉のときには祖逖の舞を起こすといったような場合か。矮鶏というのは、時が知らないで妄りに鳴くので、これで判断を下すことはできない。別に反毛鶏・老鶏があるが『本草綱目』に詳しい。

和漢三才図会
その鳴くや時刻を知り、その棲むや陰晴を知る。外腎無くて小腸をかく。およそ人家に故なくして群鶏夜に鳴くは、これを荒鶏といい、不祥を主どる。もし黄昏に独り啼くは、天恩あることを主どる。これを盗晴という。老鶏の人言をよくするもの、牝鶏の雄鳴きするもの、雄鶏の卵を生ずるもの、並びにこれを殺すときは、即ちいむ。俚人、鶏を畜いて雄なきときは、即ち鶏卵をもって竈に告げて伏せ、これを出す。南人鶏卵をもって黒を画き、煮熟してその黄を験み、もって凶吉をうらなう。雄鶏の毛を焼き、酒中に着けてこれを飲めば、求むる所必ず得る。古人のいう、鶏はよく邪を辟(さ)くと。すなわち鶏もまた霊禽なり。鶏水に属すといえども、各々色をもってこれに配す。…中略…古には正旦に鶏の頭を磔つけ(白の雄鶏良し)門戸を祭り(東門)、もって邪気をさく。けだし鶏は陽の精、雄は陽の体、頭は陽の会、東門は陽の方、純陽をもって純陰に勝つの義なり。小児五歳以下にして鶏を食えば、かい虫を生ず。鶏肉と糯米と同じく食えばかい虫を生ず。鶏肉を葫蒜芥李に合はせてこれを食うべからず。鶏肉と生葱と、同じく食えば虫痔と成る。鶏肉を鯉魚と、同じく食えば癰(よう=皮が薄くてやわらかい腫れ物)となる。
 都にてなれにし物を庭鳥の旅寝の空は恋しかりけり
万葉 我やとのきつにはめなでくたかけのまたきに鳴てせなをやりつる
古今 たがみそぎゆうつげどりぞ唐衣たつたの山におりはへてなく
…中略…
 韓詩外伝に日く、鶏に五徳あり。頭に冠を戴く(文なり)。足に距(けづめ)を搏くは(武なり)。敵前にありて闘うは(勇なり)。食を見ては相呼ぶは(仁なり)。夜を守りて時を失はざるは(信なり)。
 葛洪がいう、およそ古井及び五月井の中に毒あり。たちまち入るべからず、すなわち人を殺す。まず鶏の毛をもってこれを試むべし。毛直ちに下るものは無毒、回旋(めぐ)るものは毒あり。感応志にいう。五酉日に、白鶏の左の翅をもって灰に焼き、これを揚げれば風立ちどころに至る。黒犬の皮毛をもって灰に焼き、これを揚げれば風立ちどころにやむ。
 相伝う、もし人ありて池川に溺れて未だ尋ねられず、屍骸を獲んとせば、すなわち鶏を板筏に乗せて水上に泛かべれば、鶏能く所在を知りて鳴く。ここにおいてその骸を探し獲る。

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