江戸時代の辞書にみる豚

書名

内容

本朝食鑑
猪 布多(ぶた)と訓む
…中略…
【集解】猪は各処で畜っている。大抵は溝渠の穢を厭うて、そのために畜っているのである。猪は能く溝渠、庖厨の穢汁を喜んで食べ、日毎に肥ふとる。食物も至って寡なく、あるいは猪を殺して犬を養ったりする。犬は猟を善くし、公家に毎に厩養されている。
 凡そ猪は、刀創(かたなきず)を得たり、狂犬に噛まれたりしても、創処(きず)は思わず、最も捷かに肉を生じて、数日で癒えてしまう。それで、俗に金瘡(かなものきず)の薬とするのであるが、その効については今だ詳らかでない。

和漢三才図会
豕(ぶた)
本綱、豕は高さ大にして重さ百余斤あり。物を食うに至ってすくなく、はなはだこれを畜養しやすく、はなはだ生息(そだち)やすし。天下これを畜うて、しかるに名同じからざるあり。或いは耳に大あり小あり。足に長きあり短きあり。皆土地に従って異なる。その孕むや四ケ月にして生ず。畜にあっては水に属し、卦にあっては坎に属し、室星に応ず。その性趨下し穢きを喜(この)むなり。説文に豕の字、毛足ありて後に尾ある形に象(かたど)る。…中略…按ずるに、豕は畜ひやすきをもって、長崎及び江戸処処に多くこれあり。然れども本朝肉食を好まず、また愛翫すべきものに非ざる故に、近年これを畜う者希れなり。かつ豕、猪ともに小毒あって人に益あらず。しかも華人及び朝鮮人は鶏豕をもって常食となす。
 字彙に云う、犬は雪を喜び、馬は風を喜び、豕は雨を喜ぶ。天将に雨せんとせば、すなわち豕進んで水を渉る。

江戸時代の辞書にみる牛

書名

内容

本朝食鑑

【集解】牛は土畜である。青・黒・黄・赤・白・駁・雑の数色がある。食用には黄牛が上であり、その他は用いるに宜しくない。我が国では昔から神祇を崇び、六畜(馬・牛・羊・豚・犬・鶏)を食うことは穢忌とされ、食べた時は社祠にまいって奉祇拝詣することはできない。もしこれを犯す者があれば必ず祟りを受けるので、上も下も甚だこれを懼れるという。牛・鹿が最も祟りが重く、猪・豕・犬・羊も皆この類である。ある説に、牛は人間に便宜なもので、牛肉・牛胆・牛黄は薬に入れて用いられ、牛皮はいろいろな器具になり、阿膠(にかわ)として薬に入れたり器を造ったりし、雑工は悉くこれを用いている。また生きた牛は、農耕や運搬に使われ、また百官の乗り物となっている。これよりすれば、神祇の穢忌は稍少ないといえる。…中略…
 凡そ牛には、官牛・市牛・農牛の区別がある。官牛とは、天子・三公の乗り物、および牛車を免された公卿が乗るもので、天子・皇后の牛車は舎人が牽く。当今は、内舎人の府に属するものはすべて舎人と称し、常に洛の御菩薩(みぞろ)池の市原、鞍馬の辺に耕食しつつ、官牛を飼っている。昔は内舎人が居飼に官厩所で車牛を養飼わせており、その牛の食料は糠・菽・藁草であった。あるいはまた乳牛院というのがあり、右近の馬場の西で乳牛・小犢を牧飼っていた。乳牛とは子牛をもった牝牛のことである。
 市牛は、大家の平生の資給や商売の日用の販蓄を運転するもので、その食料は糠・菽あるいは市中の庖厨から出る雑穢汁である。
 農牛は、犁鋤を牽いたり雑菽や新炭を背に載せてはこんだりするもので、生計の資(たすけ)となっている。
 大抵参州・遠州以東から奥州・夷にかけては、馬が多く牛は少ない。それで、耕耘運転には皆馬を用いる。尾州・濃州以西より海辺の国にかけては、牛が多く馬は少ない。それで、耕耘運転には皆牛を用いる。就中、播州・備州は最も牛を産出するところで、盛んに蕃息(はんしょく)する。

和漢三才図会

その肉は「気を益し脾胃を養い腰脚を補う。(之れを煮て、杏仁・蘆葉を入るれば爛りやすく、相宜し)…中略…大抵関東には、馬多く牛少し。関西には牛多く馬少し。京師には天子・皇后・三公の御車を牽き、市中の車牛は米穀・薪木等を運送す。皆特牛(ことひ)を用う。農牛は田を耕して人力を助すく。関東にてはすなわち馬をもってこれに代う…中略…凡そ牛の角、漁人もって鰹を釣るに東海多くこれを用う。牛の皮太鼓になすべし。或いは履の裏に旋る。呼んで雪踏(せった)と日う。民間毎にこれを用う。其の他器となすもの多し。古皮もって阿膠(にかわ)に作るべし。

江戸時代の辞書にみる馬

書名

内容

本朝食鑑

【集解】馬は関東の産が上い。したがって奥州・常州の産が第一で、信州・甲州・上野・下野・上総・下総の産がそれに次ぐ。関西の産は劣弱であって関東産に及ばない。近代九州に稍良い馬がある。就中薩洲の産が高大強捷で関西の産に劣らない。あるいは、古来よりこのようであったともいわれている。