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縄文時代の食物

鳥類
アホウドリ、ハト、ガン、ウミウ、マガモ、ノスリ、キジ、アカゲラ、クマゲラ、カラス、ハシブトガラス、ツル、オオタカ、トビ、ワシ、シロサギ、燕雀目の小鳥

※樋口清之著『日本食物史』より

●鶏はいつ日本に渡来したか?

 「鶏の祖先と考えられる野鶏は南方アジア一帯に分布の広い赤色野鶏、地域的な分布をみせる灰色野鶏とセイロン野鶏、緑襟野鶏の四種がある」「今日地球上に広く分布する鶏の原種は、四種の野鶏(ヤブニワトリ)の中の赤色野鶏であろう」と山口健児著『鶏』(法政大学出版局)に記されている。
 この本によれば、東南アジアにおいて家畜化された鶏は中国で改良が加えられ、朝鮮半島から日本に伝えられたようだ。樋口清之著『食物と日本人』には、「馬や牛は、犬、豚、鶏などとともに、新石器時代末(紀元前3000〜2000年頃)に家畜用として渡来した動物であった」ともある。
 鶏は飛ぶ力が弱くて捕えやすく飼い馴らしやすいことに加え、夜明け前に規則正しく鳴くことが時計の代わりに用いられた。また、雄鶏は自分の棲むなわばりを守ろうとする性質を持つため、他の雄が入ると闘争本能をむき出しにする。この行動を活かして「闘鶏」という遊戯が始まり、共同体の娯楽用に鶏が飼われるようになった。
 弥生時代の中期から後期(0〜100年頃)にかけての遺跡である長崎県壱岐の原の辻遺跡や福岡県大川市の酒見貝塚などでは鶏の骨が出土している。

愛媛県四ツ手山古墳出土の「鶏形埴輪」

●埴輪となった鶏

 古墳時代(3〜4世紀頃)になると、鶏を形取った埴輪「鶏形埴輪」が古墳の副葬物となった。人物や動物、鳥、武具、家などの具体的な形をした埴輪を「形象埴輪」といい、葬礼用の儀式や祭祀につかわれている。
 「鶏形埴輪」は、鶏が生活に身近な存在であったことを示すとともに、葬送に重要な役割を担っていたと考えられる。鶏は、夜の世界から朝の世界へと人々を導く鳥であり、闇を払う力を持つと信じられていた。
 水鳥を形取った「水鳥形埴輪」もある。見知らぬ土地から飛来する水鳥は「魂を運ぶもの」と考えられ、悪霊を防いで死者の魂を浄化すると考えられたようだ。「水鳥形埴輪」は、くちばしが大きく平らで首が長く、脚に水かきがあるといった水鳥特有の特徴を持ち、「鶏形埴輪」と大きく違う。
 規則的な朝鳴きや飛来といった鳥の行動は、当時の人間たちにとって不可解なものであり、神の思し召しによる行動と受取られた。鳥はあの世とこの世を結ぶ存在の「聖鳥」となり、死者の霊を守るために「埴輪」へと姿を移した。

●日本初の食肉禁止令

 天武4年(676)に天武天皇より「牛、馬、犬、猿、鶏の宍(しし=肉)を食うこと莫(な)かれ」という詔が出された。
 牛や馬は農耕などの苦役に活用され、犬は家を守る。鶏は刻を告げる鳥として飼育されていた。猿は飼育されてはいないが、人間に近く親しまれてきた動物である。しかし、これらの動物以外の鹿や猪など、野生動物を食べることは禁止されていないことから、食肉すべてを禁じたものではないようだ。
 天平13年(741)に出された条には「馬牛は人に代わりて勤しみ、労(つと)めて人を養う。茲(ここ)に因りて先に明(あきらけ)き制有りて、屠(ほうむ)り殺すことを許さず」とあるように、家畜の保護を強制したものだ。深く考えると、こうした禁令が出されるということは、牛、馬、犬、猿、鶏を食べる人がいたことを示している。これらの詔勅以後、仏教が深く生活に浸透していき、穢れにつながる動物食の慣習はすたれていき、食用の動物といえば、野鳥などに限られるようになった。

記紀に登場する鳥獣

古事記
ウサギ、サル、シカ、ウマ、クマ、ウシ、イノシシ、キジ、ウ、シギ、ツル、ニワトリ、ガチョウ、サギ、スズメ、カモ

日本書紀(上記以外)
ヒバリ、ハト、カラス、トビ、カササギ

※桜井秀・足立勇共著『日本食物史』より

●『古事記』に記された鶏

 『古事記』は、天武天皇が「諸氏族が持っている帝紀および本辞は、もはや真実と違っていて虚偽を加えている」と聞き、その虚偽を正して後世に伝えようとしたというものだ。舎人(とねり)の稗田阿礼(ひえだあれ)が編纂を始めるものの天武天皇の崩御で中断したが、太安万侶(おうのやすまろ)がそのあとを引き継いで完成させた。
 『古事記』では「天照大御神(あまてらすおおみかみ)見畏(かしこ)みて、天の石屋戸(いわやど)を開きてさしこもりましき。ここに高天原皆暗く、葦原中国悉(ことごと)に闇し。これによりて常夜往きき。ここに万(よろず)神の声(おとなび)はさ蝿なす満ち、万の妖(あやかし)悉に発(おこ)りき。ここを以ちて八百(やおよろず)の神、天の安の河原に神集ひ集ひて、高御産巣日神(たかみむすひのかみ)の子思金神(おもひかねのかみ)に思はしめて、常世(とこよ)の長鳴鳥を集めて鳴かしめて」とある。鶏は、太陽神である天照大御神を再びこの世に呼び戻す役割を果たすのだ。「常世」とは海の彼方にあるとされる永遠の世界のことで、「長鳴鳥」とは声を引いて長く鳴く鶏のこと。永遠に続くように刻の声をあげる鶏を、『古事記』の作者は「常世の長鳴鳥」と表現したようだ。邪気を払い、太陽を呼ぶものとして、鶏の声の霊的な力が信じられていたことを示している。

万葉集に登場する鳥獣

鳥類
カモ、ツル、ウグイス、カリ、シギ、ハト、ヤマドリ、キジシメ、モズ、ニワトリ、ツグミ

獣類
シカ、イノシシ、クマ、キツネ、ムササビ、ウサギ

※桜井秀・足立勇共著『日本食物史』より

●『万葉集』に登場する鶏

 『万葉集』は、奈良時代につくられたわが国最古の歌集だ。大伴家持らの手で編纂されたといわれ、全20巻に約4500首の和歌が収められている。鶏の歌は14首。「 とり」「かけ」「にわつどり」と呼ばれるとともに、「東」の枕詞として「鶏が鳴く」という言葉があることからも、刻を告げる鶏が当時の人々に親しまれていたことがわかる。

◎庭つ鳥(にわつとり)鶏(かけ)の垂り尾の乱れ尾の長き心も思ほえぬかも 読み人知らず
◎鳴く鶏(かけ)はいやしき鳴けどふる雪の千重(ちえ)に積めこそ吾が立ちかてね 大伴家持
◎物思ふと寐ねず起きたる朝明にはわびて鳴くなり庭つ鳥(にわつとり)さへ 読み人知らず
◎息の緒に我が思ふ君は鶏(とり)が鳴く東の坂を今日か越ゆらむ 読み人知らず

 また、ウズラ、キジ、ヤマドリ、シギ、カモ、アジカモ、トラツグミ、スズメなども詠まれているが、興味深いのは東歌の「都武賀野(つむがの)に鈴が音聞こゆ可牟思太(かむしだ)の殿の仲子(なかち)し鳥狩(とがり)すらしも」だ。[都武賀野=地名、可牟思太=人名、仲子=次男](訳/都武賀野に鈴の音が聞こえる。これは可牟思太の殿の次男が鳴らしている。鳥狩をしているようだ)
 「鳥狩」とは鷹狩りのことだ。万葉時代、すでに鷹に小動物や鳥などを捕獲させることが行われていたことがわかる。『風土記』などによれば、それ以前には、カスミ網や矢で鳥を捕えることも行われていたようだ。

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