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●関東大震災や敗戦に傷ついた人々の心を癒すやきとり

 大正十二年(1923)に関東大震災が起こると、焼鳥の屋台が東京のあちこちに誕生した。屠殺場から出る内臓を貰い受け、豚の内臓を使った「焼とん」が人気を集めている。昭和初期になると、鶏肉を使った高額の焼鳥も誕生した。それらの中には、鶏鍋を中心とする料理屋が焼鳥屋へと転身をはかった店もある。

 敗戦後、闇市にやきとりの屋台が登場した。代用の醤油や砂糖に代わるサッカリンなどでつくられたタレで焼かれたやきとりは、飢えていた人々の胃袋と心を満たしていった。日本は戦災から次第に復興していき、やきとり店は屋台から固定店鋪へと移っていった。
 焼鳥の大衆化がはじまったのは昭和三十年代に登場した食肉用ブロイラー普及の影響が著しい。鶏の価格が安くなり、身近な食材となったためである。この頃から、大衆焼鳥店が多く登場してくる。サラリーマンが会社帰りに立ち寄る場所として駅の近くに焼鳥屋が目立つようになる。
 消費者の嗜好も変化した。安さだけではなく、味で勝負する時代となったのである。差別化を図るため、地鶏を使う店も増えている。安さと味の点からも全国的に焼き鳥は人気を集めており、チェーン展開を図る店が増えてきた。

●やきとりの新たなる発展をめざして

 鶏は高級食材であり、上等な部位の串や野菜など従来にない種類の串も焼鳥屋に登場した。特にささ身はあっさりした上品な味により人気メニューとなっている。
 昭和三十年代頃から普及した食肉用ブロイラーは、各地で飼育されるようになったの普及により焼鳥の大衆化がはじまった。鶏の価格が安くなり、身近な食材となったためである。
 この頃から、大衆焼鳥店が多く登場してくる。駅の近くにサラリーマンが会社帰りに立ち寄る場所として焼鳥屋が目立つようになる。
 消費者の嗜好も変化した。安さだけではなく、味で勝負する時代となったのである。差別化を図るため、地鶏を使う店も増えている。安さと味の点からも全国的に焼き鳥は人気を集めており、チェーン展開を図る店が増えてきたのである。また、地鶏や銘柄鳥の開発やメニュー開発、従来イメージと違う店鋪づくりなど、やきとり革新も顕著にみられるようになってきた。
 海外でも、やきとりは日本料理として認識されるようになっており、全世界にやきとり人気は拡がっているようだ。

 平成十八年(2006)、全国やきとり連絡協議会が設立された。全国各地の「やきとりの街」が集まり、やきとり文化を全国にPRしていこうという試みだ。やきとり全体のイメージアップとファン拡大を図り、従来の夜のイメージからの転換をはかり、ファストフード感覚のやきとりをめざしていくことを目的としている。
 この動きは、各地の「やきとりの街」を刺戟し、サミットや日本一宣言、地域での銘柄鳥づくりなどの動きがはじまった。全国やきとり連絡協議会は、やきとりの歴史に新しい一ページを加えようとしている。

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